(近代日本史)日本史上最大の内乱

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こんにちは。

アラフォーパパです。

前回は「王政復古の大号令」という題名で記事を書きました。

薩摩藩などによる武力討幕は、タイミングよく大政奉還の申し出があったことで、中止となってしまいました。

しかし、薩摩藩や長州藩、土佐藩などは政変をおこし、新政府を立ち上げます。

今までの政治を行う際の重要な職である摂政や関白を廃止したり、武家が征夷大将軍となり政治を担う幕府を廃止して、今までの政治から脱却しようとします。

また、新たな職を作り、新政府の中心としました。

このように政変から新政府を立ち上げていく際に行われたのが、王政復古の大号令でした。

さらに、幕府側の力を落としていくために、慶喜の内大臣の官職を失わせ、幕府の領地を朝廷に変換させようとしました。

この急激な体制の変化に、幕府側は激昂し、日本史上最大の内乱へと投入していく土台が出来上がっていってしまいました。

今回は、日本史上最大の内乱を中心におさらいしていきましょう。

それではご覧ください。

鳥羽・伏見の戦い

1868年1月3日、京都へ入ろうとした幕府および会津・桑名藩の兵が、薩摩藩および長州藩の兵と衝突しました。

場所は京都南部の鳥羽と鳥羽でした。

非常に激しい戦いが行われましたが、結果として幕府側が敗れてしまいました。

慶喜らは大阪城から海路をつかって、江戸へと敗走しました。

この戦いに勝利した結果、薩摩藩と長州藩が強い発言力をもち、新政府の実権を完全に掌握しました。

新政府は慶喜を朝敵(朝廷の敵という意味です)として討伐することを決定しました。

東征大総督の任命

朝敵とした慶喜を討伐するため、新政府は慶喜追討令を出しました。

有栖川宮熾仁親王を東征大総督に任命しました。

薩摩藩と長州藩などの藩兵を新政府の戦力として、江戸へと進発しました。

新政府軍は、ほとんど抵抗を受けることなく東海道・中山道をへて江戸に入りました。

江戸開城

3月15日を江戸城総攻撃の日と新政府軍は決定しました。

幕府は2つの提案を受けていました。

1つ目はフランス公使ロッシュからの援助申し入れです。

2つ目は勝海舟らによる新政府への恭順です。

結果として、慶喜はロッシュからの援助申し入れを拒否し、新政府に恭順の意を表明しました。

勝海舟は新政府軍参謀の西郷隆盛に降伏を申し入れ、江戸城の無血開城、武器や軍艦の引き渡しを条件に慶喜への寛大な処分が決定されました。

抵抗勢力の掃討

幕府側の一部の強硬派や江戸開場時に脱走した者たち、東北の諸藩は抵抗を続けていました。

それぞれの場所での戦いを確認しておきましょう。

上野戦争

江戸城無血開城に抵抗した一部強硬派の幕臣で組織された彰義隊(しょうぎたい)が関係する戦争です。

旧幕府の旗本・御家人たちによって編成されました。

寛永寺(上野の東叡山)を根拠地として気勢を上げましたが、大村益次郎率いる新政府軍によって壊滅させられました。

東北戦争

新政府軍が東北の諸藩に一斉攻撃をかけた戦争です。

これに先立ち、奥羽・出羽・越後の合わせて25藩は1868年5月に仙台藩の白石に集まって会津藩征討の中止を新政府に申し入れました。

申し入れが受け入れられない場合には、奥羽越列藩同盟を組み、新政府軍と戦うことを決めました。

新政府軍は、申し入れを受け入れることなく、一斉攻撃をしかけたため、越後の長岡城や会津の若松城ではこれに抵抗して、激しい戦闘になりました。

残念ながら、他の東北の諸藩はほとんど戦わずして新政府軍に降伏することとなりました。

9月までかかりましたが、東北戦争は集結を迎えることとなりました。

箱館戦争

江戸開城のときに、幕府の軍艦を率いて脱走した海軍副総裁・榎本武揚らが中心となります。

彼らは函館の五稜郭を本営として、蝦夷地(北海道)に独立政権を樹立しようと画策していました。

しかし、東北戦争を終えた新政府軍は、翌1869年4月に北海道に上陸しました。

函館や五稜郭での激戦の結果、新政府軍が勝利を掴みました。

戊辰戦争とは

鳥羽・伏見の戦いから函館戦争までの日本史上最大の内乱をまとめて戊辰戦争と呼びます。

戊辰戦争ではいくつかの点に注目しておく必要があります。

1つ目は、日本史上最大の内乱であること。

2つ目は、新政府軍には、農商出身の兵士が多く参加しており、重要な役割を果たしていたこと

3つ目は、新政府軍が早期に勝利を掴めた原因として、民衆の旧領主への反抗という側面が大きいこと

4つ目は、幕府・諸藩の封建的な支配体制が事実上崩壊したこと

5つ目は、イギリスやフランスが軍事介入する余裕がないほど早く集結したこと

これらが、重要なポイントになるかと思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は「日本史上最大の内乱」と題して、記事を作成しました。

薩摩藩や長州藩などが中心となり、徳川幕府を中心とした政治体制に対して、内乱を起こした一連の戦争が戊辰戦争です。

早期の戦争終結により、イギリスやフランスが介入する余裕がなかったことが重要です。

また、江戸城の無血開城が大きな意味を持ち、その後の新政府軍による全国支配を確立する上でなくてはならない出来事でした。

日本史としては、鳥羽・伏見の戦いから箱館戦争までの流れをしっかりと覚えていただく必要があるかと思います。

ぜひ、繰り返しご覧ください。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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