(近代日本史)秩禄による財政負担

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こんにちは。

アラフォーパパです。

前回は「身分の変化」という題名で記事を書きました。

江戸時代までの身分制度からの変化をおこすために、身分の呼称を変え、制度上ではできるかぎり平等となるような政策が取られました。

しかし、今まであった封建的な主従関係がすぐに変わるわけもなく、実際には華族や士族と平民の間の隔たりは大きいものでした。

政府は士族の廃刀令などにより身分的特権の象徴を廃していくことで身分差をなくしていきたかったのではないでしょうか。

このように四民平等が主張されながらもうまくいっていない現状で、統一国家としての実績として壬申戸籍を作成しました。

租税制度や徴兵制度につながる大きな一手だったのではないでしょうか。

今回は、華族・士族と身分が変わった元公家・元大名・元武士に支払われていた秩禄による問題を中心におさらいしていきましょう。

それではご覧ください。

秩禄とは

華族や士族に支払われていた家禄と戊辰戦争の功績に対して支払われていた章典禄を合わせたものを秩禄と呼びました。

家禄の総額が政府の経常支出の1/3にも達してしまったこともあり、継続は困難な状態でした。

しかし、華族・士族のもっとも重要な特権であったため、これを廃止していくことは困難でした。

家禄奉還

最初に削減がすすめられていったのは家禄でした。

1873年に、政府は家禄奉還に関する布告をだして、出願者を募りましたが、効果は限定的でした。

出願者には数年分の一時支給(半額は秩禄公債証書)という条件では十分な効果はでなかったものと思われます。

それでも、全士族の1/3である13.5万戸が整理でき、家禄ベースでは全体の1/4を処理することができました。

秩禄公債証書とは、出願者に対して起業資金を与える目的で発行された公債のことです。

これは、家禄に依存せずに、農業・工業・商業などで収入を得る事ができるようにするためでした。

政府に現金で渡すだけの余力がなかったことから、売買可能で7年以内に償還される予定の公債として発行されたのです。

秩禄処分

家禄奉還では効果が低かったために、政府が考えていたよりも秩禄の処分ができませんでした。

そこで、1876年に、金禄公債証書発行条例を公布して、家禄や章典禄のかわりに金禄公債証書を交付し、秩禄の支給を廃止しました。

金禄公債証書は、数年~十数年分の秩禄を公債で交付しました。

華族は1人あたり平均6万4000円くらいでしたが、士族は1人あたり平均500円程度でした。

徴兵令での兵役免除規定にある代人料270円という金額が、いかに高額であるかわかりますね。

>>(近代日本史)常備軍の編成

士族の没落

金禄公債証書を元に華族や一部上昇の士族は起業し成功を収めていきます。

しかし、大部分の士族は公債証書の金額は少なく、商業の知識もなく(士族の商法)、大した結果を出すことはできませんでした。

そのため、資金が底をつき、生活困難に陥ってしまいました。

政府としては、生活苦の士族に対しての救済措置として、生業資金の貸付や屯田兵などの帰農の奨励を行い、いわゆる士族授産、助け舟を出しましたが、あまり成果がありませんでした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は「秩禄による財政負担」と題して、記事を作成しました。

政府の支出の1/3を占めてしまう秩禄は、政府にとってすぐにでも対処しなければならない課題でした。

華族や士族に秩禄依存ではなく、自ら稼いでもらうことが必要であると考えていたため、秩禄の数年分を渡すことでその後の秩禄を廃止しようと考えます。

結果として、自主的にはなかなか進まなかったことから、金禄公債証書の発行という強制的な対応となりました。

華族は公債証書の金額も大きく、事業的にも成功をすることができましたが、わずかばかりの金額である士族の多くは、没落していきました。

ぜひ、繰り返しご覧ください。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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