(近代日本史)常備軍の編成

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こんにちは。

アラフォーパパです。

前回は「天皇中心の中央集権国家2」という題名で記事を書きました。

版籍奉還だけでは、新政府の権力集中は足りず、農民一揆は激化し、各藩の分立も改善できませんでした。

そこで、廃藩置県が実施されますが、反抗が予想されたため、あらかじめ軍事力を用意するなどの対策が取られました。

実際には、債務の肩代わりや旧藩主などの身分保障など、経済的な部分での担保により反抗はほとんどないままに廃藩置県は進められました。

また、官制改革が再度行われ、薩摩・長州・土佐・肥前出身者による藩閥官僚の支配が進む傾向が見られまいた。

今回は、軍事力確保のための常備軍の編成までの流れを中心におさらいしていきましょう。

それではご覧ください。

大村益次郎の取り組み

兵部大輔(ひょうぶだいゆう)の大村益次郎は、政府の重要な課題である常備軍の編成について、一つの解決策を唱えていました。

それは、国民皆兵(農民・町民も含めて軍隊編成を行うこと)主義という考え方です。

長州藩士であった大村益次郎は、奇兵隊のような農民や町人階級から構成される常備軍の編成に関わっていました。

そこで、新政府でも、農民や町民を軍隊に組み込み、常備軍を編成する必要性を訴えていました。

藩兵の常備軍化

廃藩置県によって各藩がもっていた兵権が新政府に集中しました。

旧藩兵を一旦解散させ、再編成して、政府直属の常備軍として編成し直しました。

また、薩摩・長州・土肥の3藩からは御親兵1万を集めて兵部省管轄下に入れました。

兵部省管轄下の兵は、東京・大阪・熊本(鎮西)・仙台(東北)の4鎮台(鎮台とは陸軍の編成単位であり、常設されるものとしては最大)を設置して、配置されました。

徴兵令の公布

大村益次郎は国民皆兵主義を唱え、徴兵制を訴えていました。

しかし、志半ばにして亡くなります。

反政府の者たちに襲撃を受けたことが原因で、その後に命を落としてしまいます。

>>(近代日本史)反政府の動き

その後を継いだのが山縣有朋です。

山縣有朋は近代的常備軍編成の事業を受け継ぎます。

フランス軍制をモデルにして、国民皆兵の立場から1872年11月に徴兵告諭を出します。

徴兵告諭は、四民平等の建前をおき、国民は平等なのだから、当然兵役の義務を皆が追うべきだ(国民皆兵)と宣言したものです。

1873年1月には徴兵令が公布されました。

徴兵令は、満20歳に達した男子は身分の区別なく徴兵検査をへて3年間の兵役に服すべきことを規定していた法令です。

兵役免除規定

国民皆兵を宣言していましたが、実際には免除規定がありました。

官吏や官・公立専門学校生徒、戸主および長男、代理人料270円を納入する者は免除されるというものです。

結局は支配者や資産を持つ者に免除規定があり、農民などの次男や三男が徴兵で取られることになってしまいました。

※270円の現在の換算金額はわかりませんが、当時では大金でお金持ちしか兵役免除のために支払うことができなかった金額です。

徴兵反対の一揆

徴兵令によって不満がある様々な階級の人々が反対を唱えました。

徴兵告諭のなかで「血税」と書かれていたことから、青年の「生き血」をしぼるとると考えた人々が血税一揆とよばれる農民一揆が各地で頻発しました。

また、士族にとっては身分上の特権を奪われることになりますので、不満がある士族が政府に反対するよい口実となりました。

軍制の整備

常備軍の拡充と平行して、政府は軍制の整備に取り掛かります。

手始めに1872年2月兵部省と陸軍省と海軍省に分けました。

1878年には参謀本部を新設して、軍政と軍令を分離しました。

1881年には憲兵制度を確立し、1882年には「軍人勅諭」をだして、軍人を政治から切り離すことを目指しました。

このようにして、日本帝国の郡代が整備されていきました。

警察制度

軍隊と平行して、治安維持のために整えられたのが、警察制度でした。

1871年に東京府は邏卒(巡査)3000人を置いて、首都の治安維持を図りました。

1873年には内務省が設置され、治安維持のための人員を整備していきました。

1874年には警視庁が置かれました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は「常備軍の編成」と題して、記事を作成しました。

長州藩出身の大村益次郎が唱えた国民皆兵は、山縣有朋に引き継がれて、徴兵令が実現しました。

しかし、実際には免除規定があり、農民の次男や三男などが実際の徴兵の中心となっていたという問題点が残っています。

様々な立場のものが、徴兵に反対しましたが、この制度は進んでいきました。

軍政改革も進み、問題点はあるものの、日本の軍隊の基本が作られた時期になっていると考えることができます。

ぜひ、繰り返しご覧ください。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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