(近代日本史)安政の大獄前後

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こんにちは。

アラフォーパパです。

前回は「雄藩連合運動」という題名で記事を書きました。

徳川幕府の政治は、譜代の小藩の当主から老中が担ってきました。

しかし、幕府の弱体化が顕在化してきたことから、譜代の大名以外の有力な藩に意見を求めることになりました。

意見を言える状況になったことから、発言力が増し、雄藩連合と呼ばれるようになっていきます。

雄藩と譜代の小藩との対立が次第に大きくなっていき、大きな問題へと発展していきます。

今回は、雄藩と譜代の小藩との対立から生じた大きな事件を中心におさらいしていきましょう。

それではご覧ください。

安政の大獄以前

今回の話題の中心である井伊直弼(彦根藩主)が大老になり、将軍継嗣を独断で決めてしまうあたりまでが、安政の大獄以前となります。

将軍継嗣問題だけでなく、日米修好通商条約の締結問題もかさなり、雄藩や一橋派など様々なグループと対立が起きていきます。

老中の変遷

雄藩諸侯と協調策をとっていた老中阿部正弘の際には、一橋派に好意的でした。

しかし、そのあとをうけた老中堀田正睦のときには、一橋派の勢力を押さえつけようと画策していました。

その後、堀田正睦は政治的理由により南紀派から一橋派に鞍替えします。

南紀派の画策により、大老井伊直弼が誕生すると、一橋派との対立が深まって安政の大獄までの流れが引き起こされてしまうことになります。

京都手入れ

老中堀田正睦のときには、日米修好通商条約の締結自体は致し方ないという考えであった。

ただし、この条約締結を利用して、一橋派の勢いを押さえつけたいという考えもありました。

正確には、徳川斉昭らの攘夷論者の抑えつけを狙っていました。

しかし、これは失敗してしまいます。

原因は朝廷内部にも攘夷の空気感が強く広がっていたためです。

最終的に、堀田正睦は日米修好通商条約を無事調印させるためには一橋派を押すしかないと鞍替えしました。

大老井伊直弼の誕生

堀田正睦が一橋派に変わり身したことをよく思っていない南紀派は、堀田が不在のときを見計らい、大老井伊直弼を誕生させます。

井伊直弼は、一橋派の排除を進め、堀田正睦は幕政から排除されてしまいます。

さらに、将軍継嗣を慶福(のちの14代将軍家茂)と決定してしまいます。

加えて、日米修好通商条約も朝廷の許可(勅許)を得ないまま、調印してしまいました。

これらの行動が、一橋派・尊王論者・攘夷論者などの強い反感を呼びました。

そして、大老井伊直弼による諸勢力の弾圧が始まります。

安政の大獄

1858年から始まった、幕政を批判する勢力への弾圧を安政の大獄といいます。

対象となった方々は以下のとおりです。

①一橋派の諸侯及び幕臣

②橋本左内(越前藩士)、吉田松陰(長州藩士)、頼三樹三郎、梅田雲浜(小浜藩浪士)などの志士

③攘夷派の公卿およびその関係者など

しかし、弾圧によって幕府の独裁政治が可能になったかというと違いました。

佐幕開国派と尊王攘夷派の対立が深まっただけという結果に終わってしまいました。

安政の大獄以後

大老井伊直弼に対する不満や反感は非常に強いものがありました。

なかでも水戸藩の浪士たちは、弾圧政策に強い反感を持っており、薩摩藩の同志と連絡を取り合い、暗殺計画を進めます。

1860年3月、江戸城桜田門のち買うで井伊直弼は襲撃され殺害されました。

これを桜田門外の変といいます。

言葉の定義

佐幕開国や尊皇攘夷という言葉がありますが、そもそも佐幕の対義語は尊王ではなく、倒幕なので注意が必要です。

尊王と佐幕を両方とも掲げた藩主も実際にはいました。

条約を朝廷の許可なしで締結したのが、井伊直弼が大老の時であり、14代将軍を決めてしまったのも井伊直弼が大老の時でした。

そのため、一橋派との対立に加えて、朝廷(天皇)を重んずる尊王論者とも対立しましたし、開国(条約締結)を良しとしない攘夷論者とも対立することになります。

したがって、尊王論者と攘夷論者の共通の敵が佐幕開国となり、尊皇攘夷というグループとして対抗していくことになります。

一橋派:福井藩主松平慶永(春獄)、薩摩藩主島津斉彬、土佐藩主山内豊信など

尊王論:徳川斉昭、藤田東湖、会沢安など

攘夷論:徳川斉昭、有栖川宮熾仁親王、吉田松陰、桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、三条実美、近藤勇、土方歳三、沖田総司など

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は「安政の大獄前後」と題して、記事を作成しました。

南紀派と一橋派の対立が大きな問題へと発展して、そこに尊王論を掲げている者や攘夷論を掲げている者が関わってきます。

これは、幕政をになっていた老中や大老が招いた結果です。

日米修好通商条約が締結された裏で、幕政は著しく混乱し、最終的には大老の暗殺という異常とも言える情勢が作り上げられてしまいました。

登場人物がどのような思想だったのかを理解して、全体の構図がわかるようにしていきましょう。

ぜひ、繰り返しご覧ください。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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