こんにちは。
アラフォーパパです。
前回は「尊攘派諸藩の戦い」という題名で記事を書きました。
薩英戦争や四国連合艦隊下関砲撃事件によって、薩摩藩や長州藩は海外勢の近代的軍備の優秀さやその軍隊の強さを実感します。
これは、実際に攘夷を実行した藩にしかわからないことでした。
一時的に藩の力が衰え、攘夷派が海外勢に負けたことから、主導権が保守派に移ってしまい、幕府による長州の征討が実施されてしまいます。
しかし、ここから倒幕へと進んでいくことになるのです。
今回は、倒幕までの道のりを中心におさらいしていきましょう。
それではご覧ください。
背景
薩英戦争や長州藩による攘夷(外国船への砲撃)が実際に起きていたことから、日本の政治を担っていた幕府による統制ができていないことが海外勢に認識されていきます。
幕府は勅命をうけて、長州藩を征討しますが、そのときには四国連合艦隊下関砲撃事件のあとであり、すでに攘夷派は主導権を手放さざるを得ない状態でした。
そのため、対日外交の方針に影響が出てきます。
イギリスが薩長両藩との接近を図り始めるのです。
同時に、修好通商条約の条約勅許を幕府に強要します。
神戸港は1868年までの開港延期が認められておりましたが、関税率を下げるようにと強要されてしまいました。
1866年に、関税を従価5%以下という改税約書を列国と結ぶことになってしまい、幕府は近代日本に経済上の多くの損害を与えることになってしまいました。
雄藩連合への期待
1865年に来日したイギリス公使のパークスは、他の国の公使とともに幕府へと圧力をかける一方で、雄藩連合政権を期待するようになりました。
薩英戦争以後、かえってイギリスと薩摩藩の結びつきが強くなり、留学生の受け入れや近代工場建設の援助が行われました。
フランスの行動
イギリスは幕府から離れ、雄藩連合との結びつきを強めましたが、フランスは異なる行動を取りました。
フランスは幕府との関係を続けたのです。
幕府へと経済的な援助や軍事的な援助を与えて、全国統一に期待を寄せました。
このような行動は、今後の日本への影響力を強めるために、自分たちの援助下に置かれた団体(雄藩連合や幕府)に期待していることから起きています。
つまり、この時点ですでに倒幕、もしくは幕府による再統一をそれぞれ予想し、他の国を出し抜いて影響力を発揮したいと考えていることがわかります。
長州藩
幕府による占拠を受けていましたが、撤兵後に速やかに攘夷派が動きます。
奇兵隊などの勢力を背景として再起して、藩内の保守派と武力で争います。
1865年には藩政の主導権を回復します。
この際に中心となったのが、高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)、井上聞多、伊藤俊輔(博文)といった方々でした。
薩長同盟
従来は薩摩藩と長州藩は対立していたことが大前提です。
薩摩藩は公武合体を方針としており、長州藩は尊王攘夷派です。
しかし、薩摩藩において内部で動きがあります。
西郷隆盛や大久保利通らの下級武士出身者が藩政の主導権を握ることになるのです。
彼らは、幕府の独裁的なやり方に藩閥し、倒幕の方針へと切り替えます。
さらに、土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎によって、薩摩藩と長州藩が同盟を結ぶという歴史の一大イベントが起きます。
この同盟が明るみにでれば、幕府は間違いなく潰しにきますので、密約としていました。
第2次長州征討
長州藩がまた攘夷派が主導権をとり、倒幕を進めていることから、幕府は再度長州を征討することを決めます。
もちろん薩摩藩にも指示を出しますが、このときには薩長同盟の密約がありましたので、薩摩藩は参戦を拒みました。
さらに、軍事を近代化することに努めていた長州藩と旧式の幕府では勝負にならず、幕府側は連戦連敗でした。
加えて、社会情勢も幕府側を不利にしていきます。
「打ちこわし」や「ええじゃないか」といった治安の悪化もおき、民衆の動向が幕府に不利な影響を与えてしまいました。
とどめを刺されたのは、将軍家茂の病死です。
将軍の死というなかで、連戦連敗の幕府は権威を大きく失墜させることになってしまいました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は「倒幕運動」と題して、記事を作成しました。
長州藩が不死鳥のごとく復活し、幕府のやり方に反発した薩摩藩が倒幕へと切り替わりました。
さらに、イギリスによる援助のもと近代化を推し進めていった結果が、長州と幕府との戦争での結果に繋がります。
幕府は軍備も旧式であり、社会情勢にも足を引っ張られました。
そして、味方だとおもっていた薩摩藩にもそっぽを向かれていました。
ただし、これらは幕府が行ってきた政治に問題があったからではないかと考えられます。
このようにして、幕府の権威は失墜していき、倒幕が現実味を帯びてきてしまう事となってしまうのです。
ぜひ、繰り返しご覧ください。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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